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6月, 2021の投稿を表示しています

絶滅

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 曲を作っていて、今あるものをちょっとずつよくしてった方がいいんじゃないかとか、系統立てて作った方がいいんじゃないかとか、なんかそういうちゃんとしたやり方のことを考えるんだけど、ちょっと先に思いつきそうな新しい曲がさかなみたいにするする逃げて行っちゃいそうで、焦ってしまう。 いままでに作ったものは自分ではちゃんと好きだし、だけど今のうちにたくさん捕らえておかないと、あっという間になくなっちゃうんじゃないかみたいな不安。いつまで絶滅しないんだろう。もうとっくにしてるかもしれないけど。うれしいんだかこわいんだかわからない。

夜中に外に出てもどこにも行くところがないという話。

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この町では今のところ夜中に外に出てもどこにも行くところがないという話。 高校生の時から、夜中に散歩するようになった。 なんていうか、たぶん感情の容量みたいのがあって、何かの感情がすごく高まっているときにはあんまり他の感情に同時にはなれないというか、要するに外に散歩に出るときには、楽しいとか悲しいとかで頭がいっぱいなのであんまり怖くない。すこしあたまがひえてきて急に怖くなってくる時もあるけど。一回考えちゃうとずっと考えちゃうよね。 それにしてもやっぱり何かしら目的がないと散歩しずづらくて、公園でもTSUTAYAでもなんでもいいんだけど、最近は夜になるとすぐ閉まっちゃうし、引っ越してきたばかりであんまり馴染みのないところをうろうろしていても落ち着かなくて困る。友達の家もないし。 散歩すると疲れるからよく眠れるのがいい。なんか何の面白みもない文章だけど、あんまり言葉にしたことのないことだったので、記録。 このキーボードは少し反応が悪い。そういう感覚って自分で誰かと話していてもある気がする。あと今日は、新しいイヤホンを買った。

オリンピックの夏

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 前に投稿してからちょうど1年くらい経った。気づかないうちに夏至は過ぎてしまった。今日はインターネットでたけしのことを調べながら時間をつぶしていた。 自分の、日記の文章がすごく気に入っていて、これが作品になったらいいのにと思う。けどあれが流れよくかけているのはあんまり恥ずかしさもなく、かと言って誰かに見られない保証もないという気持ちで書いているからだと思う。 とりあえずだから、ここでもう少し続けてみるかと思った。ノートにも書きたくなってしまうけど。 オリンピックの映像が好きで、いやきっとほとんどの人は映像でしか見たことがないだろうから、僕らにとってふつうオリンピックというのはテレビの中のもの。オリンピックはテレビであって、テレビにとってもオリンピックは重要なイベントだったと思う。あの空気感は独特のものだし、みんなが同じものをみている感覚があった。アテネ、シドニーなんて、オリンピックがなければ知らなかった場所。でもなんとなく名前を聞くだけでなつかしいような、なにか重要な歴史がそこで刻まれたというドキドキするような感覚を思い出す。時間が経って思い出すのは感動や興奮だけじゃなく、時代の空気とかだったと思う、あとなにより自分のこと。2008年の夏、北海道の祖父母の家に帰省していて、ミスチルのギフトが流れて、野球は負けて、北島康介が金メダルをとって、平泳ぎの選手が水面から出てくるスローモーションに笑って、まだ祖父が生きていて、思ったより早く、気づいたらオリンピックが終わっていたことに少しがっかりした。そういうようなこと。 だんだんものものしい文章になってきてしまった。おわり。