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大きすぎる建物

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  土曜日は本棚を買って友達からソファをもらった。それでも一日中憂鬱で、日曜の朝も変わらなかった。なんとなく携帯を見ていたら面白そうな映画が高崎でやっていて、予定を確認したら今日しか行けないと思い、行ってみることにした。車で片道 2 時間くらい、でもおれの車はそんなにスピードが出ないのでもう少しかかったと思う。前の日に見た映画の主人公を真似して、たくさん重ね着をして家を出た。 映画にはギリギリ間に合った。いつも不思議なんだけど、どうして図ったようにギリギリになるんだろう。 途中サービスエリアでうどんを食べた、きのこが入っていたので残した。 外は寒くて、まだお腹が空かなかったからもう一本見た。 映画を見終わって、高崎駅の辺りを歩いた。気持ちよかったけどお店はわりと閉まっていて、軽く食べたいと思ってふらっと入ったお店が想像以上に高級な感じで失敗した。ハンバーグを頼んだけど、きのこが入っていたので残した。 帰り、近くにバッティングセンターがあったので行ってみた。広くて誰もいなくていい感じだった、店のおじさんがテレビで暗いニュースを見ていた。 近くに大きすぎる建物があってこわかった、なんていうか車で近づいても近づいてる感じがしなくて、距離感が狂う。とにかく不気味だった。 帰りの車でラジオを聴いていたら、鳥の餌の話をしているところで、化学飼料研究所というのを見つけた。 映画は結構面白かった。短編集。最後のシャブロルの映画、男の子が耳栓をしている間に母親が死んでしまう話が心に残った。

消えた3時間?

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 がっかりかもしれませんがタイムリープ的な話ではありません。がっかりしないでください。 前の仕事をやめて一ヶ月くらい経った。子供に絵を教えるバイト。教えるというか、結果的には遊んでただけだけど。 内容はともかく、場所がとにかく遠かった。車で片道 1 時間半、特にそこに行かなきゃ行けないこともなかったのに、成り行きでそうなった。おかげで運転も大分慣れた。 田舎の街なんだけど、田舎っていう言葉もなんか違くて、遠くの街っていう感じ。 子供がいるんだから住んでる人がいるわけだし、一応駅からも近いから、コンビニとかブックオフとか色々あるんだけど、あのあたりはなんとなく世の中から離れていて、他の世界と時間の流れが違っていて、昼は白っぽくて広くて、光が澄んでいたような感じがする。街自体が思い出みたいでふわふわしている。あと駐車場がやたらと広い。 仕事は昼からのはずなんだけど、なぜか夜の景色を思い出すことが多い。 通っていたのはちょうど一年くらいだった。毎日通った時期もあれば、週に一度の時期もあった。大まかにいえば前半は受験生を受け持っていて、後半は子どもだった。 いつまでここにいるんだろう、こんなところにいていいんだろうかと毎日少しずつ不安だった。受験生を教えているときは暇な時間がたくさんあったから、仕事をしたり、早めにきて映画を見たり、バッティングセンターに行ったり、好きに過ごしていた。一度だけ布団を持って行って泊まってみたけど、余計に疲れる感じがしてやめた。 基本的に受験生の授業が始まるのは夕方からなので、やっぱり多くの時間は夜だったんだと思う。 その時はそんなに思ってなかったけど、今思うとその時に流れていた時間は独特で、さみしい気持ちでいろんなことを考えていた。けどなんとなくなつかしく、かわいそうだけどかわいい思い出だと思う。 自分のことかわいそうっていうのは別に悪くないのかもしれないと最近思った。 こんなこと言ったらだめかもしれないけど 本当は戻ってずっと子供たちと遊んでいたい、なんでわざわざ疲れるために東京に行くんだろう、映画みて、野球みて、子供と遊んで、おれはほかになんにもいらないのかもしれない。 大人といると疲れるけど子供といると回復する。疲れるけど。

さよならびけん

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  大学の画材屋がなくなるらしい。店ができてから48年と書いてあった。 受験で時計を忘れて、慌てて買いに行った時からお世話になっている場所。その年は落ちたけど。時計もなくした。 特に素晴らしいとも思ったこともないけど、大きな不満もなく 4 年間あたりまえに通っていた。変な買い物をしても変だなという顔をせずにいろいろ売ってくれた。何をどう買っていいかわからなくて効率の悪い買い物ばっかりしてたけど、そんな人たちばっかりだったんだと思う。 閉店のお知らせはコピー紙一枚にさりげなく、つつましくて、でも心に残るいい文章だなと思った。こんな素敵なお知らせを出す店を潰してまで立つ世界堂はいったいどれだけご立派だっていうのか。おれはおこっている。モナリザなんか燃やしていいから、どうしてもというならせめてあと 2 年続けて、 50 年を迎えてから終わってほしかった、でもそういうことにこだわらないのがいいところかもしれない。あと、みんな多摩美のカレーは微妙だって文句言うけど、おれはあのカレーが美味しくて大好きです。 卒業したからもう関係ないけど。

地球からの手紙

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  うちを地球とする。 コンビニが太陽で、そうすると郵便ポストが月、と言った位置関係になる。 それで、手紙を持ってコンビニに切手を買いに行き、そのまま貼って、帰りにポストに入れて帰ろうという計画を立てるのだけど、よく忘れて切手を貼った手紙を持って帰ってきてしまう。 わざわざ大きいものに例えるまでもないしょうもない話なのですが、ノンフィクションです。 これはなんか、映画で言うとアポロ 13 みたいな、あれは太陽にはいかないか、でも月をぐるっと、あんまり言うとネタバレになるかもしれないけど。 帰りは雲が流れるのが早かった、あとで見たら、明日は台風がくるらしい。 (順番が狂ってしまった、8月の終わりのメモです。)

遠いところ

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  ずっとやろうと思ってた展示の打ち上げをしてきた、焼肉を食べた。隣の人たちがうるさくてどうなることかと思ったけど、どうなることもなく最後までうるさかった。松坂大輔の動画を見ていたら癒された。野球をよく知らないころからかっこいいと思ってたけど、やっぱりあの人は華があるというか、でも引退した今は見てるとなんだか癒されるところがある。 東京と宇都宮を往復して、 5 時間以上運転していたので腹ペコだった。おれは長い時間運転すると腰の左側が痛くなる。この間整体に行ったら身体が硬いと言われた。歯医者に行ったらきれいに磨いてますねと言われたけど、おれは歯医者の前だけちゃんと磨いている。 キムチとお肉と、ラーメンのハーフと、ご飯は大盛りにしようとしたら、店員さんが心配そうに結構大きいですよと言うのでやめた。いつもはたまごスープを食べるけど、今日はやめた。 急に寒くなった夜だけど、まだ一日目なので楽しむ余裕がある、少し歩いてから車に乗った。最後にもらうミントの飴の味。そういえば帰る途中、霧がかっているところがあった、月は途中まで赤かったけど途中から白かった。高速道路ではてきとうに 00 年代の邦楽がごちゃっとしてるやつを流していて、アクアタイムズの虹の、二番の歌詞が実は良いことを知った。今年を振り返るにはまだはやい、聞かなくていい言葉もある、とりあえず生きて帰ってこられてよかった。

なんという男なんだ

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  涙なくして語れない、今年の村上は最後の最後で 56 本目のホームランを打ちました。 そのときはソファーでうとうとしていて、ちゃんと記憶がない。でも実況なのか歓声なのか、あるいは勘なのか、打った瞬間、正確にいうと打球が上がった瞬間のテレビをみていた、打つところは見れてなかったけど、なんとなく雰囲気で、村上が打ったんだと思った、それで打球が伸びて、スタンド、それも中段に入って、さっきまで眠かったことを忘れてもうずっと騒いでいた。村上がよく、打てない時でも応援してくださいと言っていたことを思い出した。試合が終わるまでずっと、テレビと携帯を食い入るように見ていたから目がすごく疲れて、そのあと咳がとまらなくなった、だけど、ヤクルトファンとしてこんなホームランが見れたなら寿命なんて多少縮んでもいいなとほんとうに思った。

1:44

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  #9910 という番号があります。ちょっと調べたら出てくるのにいままで億劫で調べなかった。 夜中に散歩していて、あのあたりには猫が多いと知っていた、最近はタヌキもいるような気がしていた。 9910 に電話をすると機械の声が案内をする。 3 を押したけどうまく行かなくて、もう一度かけ直した。すると穏やかな声の男の人が出て、きかれるまま住所や車線を伝えた。都合よく住所の書いてある建物があった。猫か、たぬきか、わからないんですけど と言った。わかりました、こんな時間ですので、回収は明日になります、と言っていた。踏み込んだことはなにも言わなかった。名前と、電話番号を伝えた。電話をしている時、後ろから人が来ていた。 猫かたぬきに手をあわせたけど、どっちかもわかってない人間にされても、って思うかもしれないなと思った。でもそうするしかなかった。緊張したので、電話をきったあと、おかしいけど少しほっとして、それでも自分の中にはやっぱり他人がいるんだなと思って、少し混乱した、この感情はまるで芸術だなと思った。デザインなんかやめたくなった。ちょうど今日からキンモクセイの匂いがしていて、なにか混ざったような気がしたけど、ほかの匂いはわからなかった。

覚悟はいいですか

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  暑さもいくぶんか控えめになってきました今日このごろ、いかがお過ごしでしょうか。こわい話です。  シャンプーをしているときに後ろを見てはいけないそうです。そういうときにはいろいろ寄ってきているのでなんだか良くないらしいです。目があったりするらしいです。そう言われると気になってしまいますね。 うちの実家でシャンプーをしているときに目を開けてしまうと家族のそれぞれの洗面用具がごちゃごちゃと散らばっていて、それはそれでおそろしい光景です。母親の高いシャンプーなどが高級住宅街のように並んでいる地域もあれば、錆びきった剃刀が廃墟のように放置されているのも見受けられ、世の中放置された廃墟がそこらじゅうにあるのも納得できちゃったりしますね。 忘れようとするほど思い出しちゃったりするやつでいうと、細かいことは忘れたけどトイレにまつわる血や幽霊が登場する物騒な話があって、重要なのは終わりの、この話をハタチになるまでに忘れないとあなたは死にます、という部分。 忘れないとハタチになった瞬間に死ぬのか、ハタチになる直前忘れていれば免れることができるのか、なかなか詰めの甘いところもある気がしますが、しかしこれは子どもには大きなダメージを与えます、自分もハタチの誕生日を迎えるときこの話をぼんやり思い出していた。 子供の頃、自分は小学校 3 、 4 年生くらいの記憶があんまりなくて、それはいいんだけど たぶんそのあとの 5 年生くらいの頃のこと 放課後、友達も帰り、親が仕事から帰ってくるまでのあいだ家で一人でベイブレードをして遊んでいた。同時にふたつは回せないから自分で一つずつ入れる。お気に入りのやつをあとから入れるんだけど、判官贔屓なじぶんはあえてお気に入りの方を最初にいれて、これで勝ったらむしろ立派だ、なんて小さな物語を毎日つくって遊んでいた。ベイブレードがわからない人は調べてください。 それで楽しかったはずなんだけどある日急に、あれ、今って一体なんなんだろう、と思った。 昨日もだいたい同じようなことをしていて、特に用事がなければ明日も同じようなことをして毎日終わっていく。 1 年後には今日と明日の区別はつかないし、放課後一人で遊んでたことすら忘れてるかもしれない。そしたら今は一体なんのためにあって、何のためにこんなコマなんか回してるんだ、好きな漫画も見ていたテレビも、この部屋の明るさも床

がんばれシナプス

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  全然関係ないんだけど、って話し始めるのはたのしいし、聞く側もちょっとだけワクワクするし、気楽だし、なんか脳にいいような気がする。 それで全然関係ないんですけど、人が怒られる所ってなんとなく見ちゃうし、人が怒られた話は聞き逃さない。これは性格の悪い話ですが、そうなんだからしかたない。人生で見た中で一番怒られてた場面は、簡単に順位はつけられないけど、なんだろう 怒られていた側のことで言うと、小学生の時 友達がお昼の放送で喋っている時に放送室の外から上の学年の先輩が変顔をして笑わせようとして、まあ実際笑ってしまっていて そのあとその先輩は職員室の前ですごく怒られいて、この世の終わりみたいに泣いていた。 そこまでか、とおもうけど、巡り合わせが悪かったんだしかたない。 自分は 3 、 4 年生くらいの記憶があまりないんだけど、多分それくらいのころ、工場見学の予習でシリアルとかフルーツグラノーラみたいなものがひとりずつ机の上に配られて、学校で授業中にそういうのが配られることがすごく珍しかったから、まわりの言葉が何も頭に入ってこず真っ先に食べてしまった。 そしたら先生とかまわりの人達に、まだ食べちゃいけないんだよと責められて、自分が悪いんだけどすごく嫌な気分になって、心の中でフルグラを責めた。 これもあんまり関係ないんだけど。 いまは友達と会って帰る途中。駅のホームで待っている電車がこれであっているのか不安になっている。今日は北千住と橋本の駅が似ている話などで盛り上がりました。

Gold Rush

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  そういえばここで全くお知らせをしてなかったけど、地元で本や絵の展示をしました。とりあえず無事終わり、まあ成功も失敗もないけど、大きく損して借金を抱えることもなく終わりました。 もちろん人の手を借りてはいるけど、自分の場所で、 自分でいろいろと決めて作った空間はそこそこ居心地が良く、最近あんまり人と関わるのがめんどくさくなっていたけど、そこそこな気分でやり過ごすことができた。 その素敵っぽい場所にはエアコンがないため時々殺人的な暑さを発揮して我々を脅かしたのだけど、扇風機で対策しているうちに期間の 1 週間はすぐに終わった。まだ暑い日はきっと続くけど、こんなに暑さを実感することはもうないかもね。 とにかく終わった。こういうのが終わることはわりと好きで、いろいろご褒美だとかそういうのばっかり計画してしまうのだけど、最終日の最後の時間には大きな事件が起こるわけでもなく、ちょっとした満足と疲労と暑さからかぼーっとして なんとなく好きな映画のサントラが頭の中で流れていた、それは主人公が偽のお金を使って大きなお金を稼ぐっていうシーンで流れている曲で、たぶんその映画を見た人ならわかってくれると思うんだけど、展示が終わった自分の気持ちはすごくそれに近いと思って、車で聴いてた。 偽札で自由を手に入れるんだっていう、自分の絵は偽札じゃないけど、でも意外とそういうのに近いのかもね。頭の中でいつの間にか流れている曲は、実はけっこう頼りになったりする。 帰り道、遠くでなってた雷の音を花火に聞き間違えた。そのうち、今年の夏の暑さのことをだれかに大げさに話すんだろうなと思った。たしかめようもないし。

ガビ

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  夕飯を 食べる、野球を見ていると、気絶するように寝てしまう。今日あった出来事と作っている作品と野球の結果がまばらに記憶される。丁寧につくったものはあんまり悪くならないと思う。真夜中が始まるすこし前くらいの時間に目が覚める。すごく甘いものが食べたくなる。身体が砂糖を欲している。どうせ眠れないし散歩に行こうとする。ラジオを聴きながら車止めの棒を渡ったりして遊ぶ。空が明るくなってきて、危ない危ないと家に帰る。まだ眠くないのでこのまま大谷翔平の出てくる試合が見れたらいいなと思いつつ我慢できずに寝る。起きたら試合はとっくに終わっている。習性。しかしエンゼルスは勝てない。当たり前のように勝てない。晴れた日も雨の日も、こちらの気分が良くとも悪くとも、いつも負けている。調べるほどさまざまな人々がエンゼルスの弱さについて語っている。でもそれはほとんど体質とか習性のようなもので、仕方ないんだと諦めるしかない。体質。

つめたいみどり

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  ウルリヒザイドルという人のパラダイス 希望という映画を見た。愛、神、に続いての三部作なんだけど、 3 つ目だけ好きだった。 2 つはあまりに辛かった。同じようにきつい部分はあっても、主人公が若いことで救われた、いや若いだけじゃないかもしれないけど。 中学生か高校生くらいのおデブちゃんたちが集まってダイエット合宿の施設にはいる話。景色がすごく良かった、森の中の施設、ダイエット合宿のオリジナルの白い T シャツをほしくなった。サナトリウムっていうか、ひんやりしたみどり、綺麗な光だけど暑そうな感じがしない、出てくるのはみんな太ってるけど暑苦しくない、だらしないけど嫌な感じがしないのが不思議だった。感情的な部分も大きいんだと思う、演技もすごく上手だと思った。 そのあと眠くなくて、レイモンドカーヴァーの短編をふたつくらい読んだ。眠くない時に眠ろうとするのはけっこう苦痛だ。 文章があまりにも綺麗で、なんだか久しぶりに小説を読んだ感じがした。実際久しぶりだけど。最近は映画に求めていた物語としての役割を補ってくれた。 彼女は夢でも見てるみたいに大人になって っていうところが好きだった。 あの終わりかた、夏のあのずっしりくる、閉塞感のあるような暑さ、空気、頭がおかしくなってしまって、考えることを諦めたようなかんじがして、すごいと思った。 求めていた温度の物語が続けて入ってきたので、記録。 冷たい緑。 5 時前。まだ眠くないけど。

おつかれマット

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  そのむかし、多摩美術大学には広告研究会という部活があって ( いまもあるか ) 、うちの学科の生徒は大体入っている、昔からある由緒正しい部活だという決まり文句に誘われ、当たり前に入部した。 何をどう活動するのかいまいちわからないまま二年生になり、当時の部長が知り合いだったため、部長にならないかと誘われた。なんか偉そうでかっこいい感じがすると思い、気の小さい自分は部長になった。 部長はとってもめんどくさい、毎週木曜日の謎の集会に行き、誰のためでもなく怒られたり、掃除をやんわり断ったり、変な頼みごとされたり、とんでもない田舎で合宿をしたり、ここではかけないような大学生らしい火祭りをかわしたり、部費のために一生懸命レシートを集めたりした。 ( 先輩が引っ越した時の家具のレシートが役に立った。 ) 部長としてはめんどくさいという理由でいくつかのイベントをなきものにした。特に文句を言う先輩も後輩もいなかった。 しかし広告研究会というのはその数少ないいくつかのイベントで成り立っているので、実態のないこの部活は生命力を失い、部活として部室を持つ意味もなくなり、最終的に年の終わりに虫部という謎の部活に部室を明け渡すことになった。 ( よりによって虫部! ) それで部長の最後の大仕事は、部室を片付けることだった。まったくそういう時にだけ、何か盗んでやろうと目を光らせてやってくるそれこそ虫のような人たちもいて、ギターやらゲームやらが持って行かれたらしく 最初は腹が立っていたけどしばらくするとどうでも良くなった。 だけどこのなんともやるせない 1 年間と部長という肩書きに最後にひとつ花を持たせてやりたくて、部室に残っていたこの大きいカッターマットだけ持ち帰ってきた。買ったらきっと高いこのカッターマットには、部長としてげんなりした気持ちを味わった分たくさん働いてもらわなくてはいけない。 虫部はなんだか楽しそうで羨ましかった、冷蔵庫が欲しいというのでそのまま引き渡してあげた。

国旗の色ひとつ

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  ドップラー効果というものをみなさん知っているでしょうか。知っているでしょうね。 何度説明されてもいまいち理解できないんだけど、救急車とかのサイレンが聞こえたとき、最初に比べて通り過ぎた後の音が低く聞こえる現象のことらしいです。詳しい人がいたら僕にもう一度理解するチャンスをください。  少し前のちょっと体調が悪くて熱っぽい日の夕方、行くところがあって車を運転していた。信号待ちで停まっていたら、何らかの思想を持った一台の変な車が、国歌を響かせながら、そして小さな国旗をひらひらさせながら目の前を走り去っていった。ここでドップラー効果だ。 日本の国歌はただでさえちょっとどよんとした感じなのに ( ごめんなさい ) 、ドップラー効果によってそれはそれは不気味な効果を演出していた。余計具合が悪くなりそうで、悪い夢でもみているのかと思った。 夕方ってなんかそれだけでちょっとおかしくなるような、何が起きてもおかしくないような狂った感じがあるから、あんまり調子の良くないときは出歩かない方がいいかもしれないと思います。

墓地たち

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  試乗の日の話。中古車屋というのはある程度の敷地が必要なので結構田舎にあって、これから車を買いに行くのに、車じゃないといけないようなところにあったりする。調べたところ、一番近くの駅から 30 分も歩かなきゃいけなくなった。 それでもまあ楽しい用事なのでせっかくだからと歩いたんだけど、携帯の地図の案内に従っていたら本当にあってるのか心配になるような田んぼの間みたいなところをそこそこの距離いかなきゃいけなくて、そもそも入って大丈夫なのかも微妙だし、靴も汚れるしでちょっと笑っちゃうくらい大変な道のりだった。 それで、やっぱり中古車屋のまわりには中古車屋がたくさんある。いろんなところから運ばれてきた運転手のいない車たちはすごく静かで、さみしいけどたしかな質量を持っていて、近くにいると圧倒されるような重たい空気を作っている。そもそも車の正面はどうしても顔に似ていて、それもなんとなく感情に訴えかけてくる感じがあると思う。 どうしようもないくらいボロボロに壊れた車が集まっているところなんかもあって、そこの横を通る時は治安の悪い場所を通るような緊張感があった 。ちょっと ディズニーランドのカリブの海賊とかみたいな かんじ。 途中からなんとなくそんな気がしてたけど、着いたら店員さんに、え、歩いてきたんですか!言ってくれてば迎えに行ったのに!と言われ、それはそうだよなとも思いつつ、もし頼んで断られたら恥ずかしいと思って言えなかった自分をこっそり慰めていた。そういうことはよくあります。 帰りはそうしてもらおうかなと思っていたのにその時ちょうどスタッフが足りなくて、帰りも送ってもらえずタクシーで帰ることになった。  自分の車は写真の通りにかわいかった。結構地味だし、ひとに写真を見せても微妙な反応なんだけど、なんとなく自分ぽくていい車だと思う。色は元々の色でなく誰かが塗装したそうなのであまりひとと被らなそうだし、丸目と三菱のマークもかわいい。運転席のむかしのボタンが懐かしく見える。試乗なのでいまさっき歩いてきた細い道を運転するのかとちょっと嫌だったけど、まだナンバーがついていないので外は走れないと言われ、駐車場の中をちょっと進んでバックするだけという、正直あまりよくわからない試乗をした。古い車のエンジンの音はちょっと頼りないけど渋くていい音だった。お金もないので、なんとか当分は耐えてほしい

おわりはじまり

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  3 月 18 日が終わる。年が明ける時には思わなかったけど、いまぼんやり考えていると、一年前の 3 月がすごく遠く感じる。 いろんなことがありすぎた。今年の冬も長く感じて、夏の暑さやベタベタしたかんじがよく思い出せない。 最近少しあったかくなってきたかと思ったら今日は雨が降っていてすごく寒い。雨の中バッティングセンターに行った。ボールを打ち上げると上のネットに当たって、水がたくさん落ちてきた。それがおもしろいからというわけではないけど、今日は打ち上げてばかりだった。最近ずっとそうだ。 一昨日には大きな地震があった。慌てて庭に出たら大きなカエルがいた。 口内炎ができて、よせばいいのに口の中を舌で触っていると、妙に人工的な感じのする段差に気づく。海底に人工物発見、みたいな感じ。 車で少しうろうろしたけど 12 時は回らない。薬局で入浴剤を買った、レジで端数をうまく出そうとしたけど途中でよくわからなくなって、大きいお金で出した。そしたらポイントから端数の分を払えますと言われたので任せた。端数という言葉を初めて知ったのは高校生の頃、友達が普通に使っていて、感心した。 歯が痛くなったので歯医者に行ったら虫歯じゃなかった。念のためレントゲンを撮った。 以前お世話になっていた好きだった歯医者さんがなくなってしまったので、新しい歯医者だった。むかし治療した部分が、すごくきれいになっていますよと言われて、前の歯医者さんも一緒に褒められたようで嬉しかった。 仕事の絵を無理矢理間に合わせた。大学に入る前ずっと、自分より絵の上手い人はいたけど、自分だけが続けていることが少し嬉しくなった。 涼しいと、昔の風に感じる。全く同じではないけど、同じ場所で同じような風に吹かれて、あの時の繰り返しみたいだとちょっと思う。繰り返したいことはあるけど、そういうことがあれば、歳をとるのが少し怖くなくなる。 5 年で何ができたのか、どうなるのかわからないけど、余計なことしか言えない。そんなのばっかりだからたぶん大丈夫ですけど。

あの人はいま

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  車を買うことになった。 遡って小学校 3 年か 4 年生の時、新しい社会の先生が来た。雰囲気が悪い、という謎の理由で最初はみんなから嫌われていたんだけど、しばらく経つとわかりやすいとか実はいい人だみたいな感じですぐに人気者になった。たしかに授業はわかりやすいし性格もいい人で、自分もその人のおかげで日本の都道府県を覚えたし、その人がほかの学校に転勤してしまう時のお別れのスピーチで、僕はここにいる全員を授業で指したことがあります、と全校生徒に向かって言っていてなんだかよくわからないけどすごいなと思ってきいていた。その人は雑談も割と面白くて、テレビでアナウンサーが僕は〜〜って伸ばして言っていて怒られていた話とか、学校に来る途中の車で、親切に道を譲ってもらい、お礼のつもりでクラクションを鳴らしたら、古い車だったのですごく不細工な音が鳴り恥ずかしかったという話とかをしてくれた。話もうまかったんだと思う。  自分がたいして運転もうまくないのになんで車に乗るのがすきかというと、この歳になってやっとそういう人たちといろいろな瞬間を共有できるからなのかなと、車を買う時になって思ったという話です。

がんばれ水

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 家 の近くに気温を知らせる塔がある。 散歩途中にあるのでいつもちらっと見る。その日はお風呂上がりで身体が温まっていたのもあり、気温が 0° ぴったりだったのを見て、こんな程度で水は氷になってしまうのかと思った。

学生寮からスケートリンクまで

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  このあいだの文章から少しつながり 浪人生の時の話、コンクールという立派な名前のろくでもないイベントのために僕ら田舎の受験生ははるばる東京へ行かなきゃいけない。 それで泊まるところを探すのだけど、東京の予備校の最後の良心によって、一泊だけ無料で近くの学生寮に泊まれることになっていた。一泊だけ。寮はいくつか候補があって、違いが分からなかったので空いているところに決めてもらった。だれもいない日本画の教室で、モチーフの花とか見ながら電話をかけたのを覚えている。当日、ろくでもないコンクールは長引き、学生寮に向かうのは予定よりかなり遅い時間になった。駅から近いときいていたのに、全然近くない。東京の悪口を言いながらまったく知らない夜道を歩いた。 こんなにも知らない街で生活があることに気持ちがざわざわして、ぼんやりした夜に、このままこの街に溶け込んでしまいそうな、それくらいなんというか生活感のある道のりだった。いかにも迷いそうな道でしっかりと道に迷い、今どこですか、大丈夫ですか、という電話がかかってきたりしながらやっとのことで寮にたどり着いた。  ふだんから住んでいる学生たちはとっくに食事を済ませていて、たった一人の寮長さんがひとり分の食事を残して待っていてくれた。寮長のおじさんはよく話すおじさんで、少し会話しながら夕飯を食べた。 食堂にはクリスマスツリーが飾られていて、でもそのツリーはなんとなく乗り気でないような雰囲気だった。なんていうか、いまいちだれも協力的でないというか、そういう感じが滲み出ていてかなしかった。 ひと通りの説明をしてもらい、寮長さんはそのあとひとり、小さいテレビでアイススケートの大会をつけていた、自分はそれを見ていてなんだかすごく心細い気持ちになってしまった。こんなに遠くのさみしいところで華やかなスケートを見ていたら、寂しがりなこのおじさんはだめになってしまわないだろうかと勝手に心配した。 この寮もすごく入る人が減っているらしい。もし大学に合格したら、ぜひうちの寮に入ってくれないかと何度も言われた。行きたい大学からは明らかに遠いし、できれば一人暮らしがしたかったけど、このおじさんを悲しませてはいけないと思って、笑うしかなかった。 次の日の朝その寮を出るときは すごく寂しかった。朝は少し駅が近く感じた。寝坊したので走った。 コンクールは全然だめだった。 寮の

飛行機をのがすまで 後編

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  最近のカプセルホテルは安いし清潔なのでたのしい。早めについて、早起きの恐怖に怯えながらもごろごろしていた。早起きは恐怖に近い。小学生の頃から苦手で、学校はほぼ毎日のように遅刻していた 。家庭訪問で先生が家にきた時に、先生がこの家にも時計があるんですねと言ったのをうちの親はいつまでもおもしろい話として自慢し続けている。 これでもし寝坊したら飛行機を一度に二本も逃してしまうことになってしまう 、正月からそんなことあっていいのかと思いつつ、ゾンビの映画を見たりしていた。 で、どうなることかと思いきや、スッキリではないもののなんとかちょうどいいくらいに起きた。カプセルホテルなので朝早くに近くを誰かが通る音が聞こえて、それでなんとなく目が覚めた。誰だかわからないけど感謝しなくてはいけない。ありがとう。 正月といえど今年もうこれ以上早く起きることはないんじゃないかくらい早く起きたので、いざ目が冴えてくると、だんだん優越感みたいなものに変わってくる。思い返せば小学生の時も、一年に一回くらい奇跡のように早く目が覚める日があって、その日は誰よりも早く学校へ行って誰もいない教室で優越感に浸って満足していたりした。 それできょうはせっかくだから朝マックでも食べちゃおうかななんて思っていたのに手続きを済ませたら意外とギリギリになってしまった。 ギリギリというのはマックが食べられるかどうかのギリギリで、普通に向かえば間に合う。 でももう口がマックになってしまっているので、仕方なくマックへ向かいました。 しかしこれでまた遅れてしまったら空港の人も、この人は新幹線が遅れたと言っているけど本当は昨日もこんな感じでダラダラしていただけなんじゃないかと思われてしまうのがおそろしく、ここはなんとか急いで食べねばと思い、間に合うことができました。他の飛行機では今日も時間にルーズな人の名前が呼ばれたりしていたけど、自分が乗る帯広行きの飛行機はわりと時間前にちゃんとみんな揃っていて、自分が最後にならなくてよかったと心から安心した。 まあそんなに大した事件でもないんですけど、時間があったので暇つぶしに書きました。 追記 飛行機をおりて歩いている途中で、虫歯ができたことに気づいてしまったり、帰りは終電逃したり、今年の悪運はまだおわらない、、

飛行機をのがすまで 前編

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  何年か前に行った占いで、 2021 からは運が良くなると言われた。その時はまだあと数年あるのかと思っていたけど、やっとこの時が来た。ただしそれは 4 月からの話であって、 3 月まではむしろラストスパートとばかりに悪運がたたみかけてくるんじゃないかみたいなことを考えていた大晦日。 それで 1 月 1 日。羽田空港に向かうために乗っていた新幹線が、とまった。この寒い冬に、雪かと思いきやでもなくビニールが絡まったというよくわからない理由。 これはちょっと大丈夫かなと嫌な予感がする中、景色と怪獣のことを考えたりしていた。 だんだん不穏な空気が漂うなか、なんとかマンがくるのかな、とかいうまぬけな子どものつぶやきにちょっとイラッとして、よく考えたら自分もさっきまで怪獣のこととか考えてたなと思いつつ、結局新幹線は 3 、 40 分ほど遅れ、情けないほど全然間に合わなかった。駅員さんは、 50 分遅れということにしてくれた。より仕方がない感が増した気がする。 そう、たしかにいろいろと予想してもうちょっと早めに出てれば間に合ったのだ。 30 分だともうちょっと早く出てきてくださいよという感じになってしまうかもしれないけど、 50 分も遅れたなら仕方ないか、かわいそうにという感じに見える。 そういえば結局、新幹線の状況ことはあんまり調べなかった。生活の中では、情報を得る時期と得ない時期のムラがあってもいいような気がする。 とにかく空港につき、仕方がないので全然つながらない電話をかけたり、全然進まない行列に並んだり、ソファーに座ったりしながらなんとか、飛行機を明日にかえてもらった。空港では間に合っていない人の名前がフルネームで呼び出されており、自分もこのように呼ばれていたのかと思うと、だらしなさをみんなの前で言われているようで非常に恥ずかしい。 きょうはホテルでゆっくりと思いきや、空港の人は苦笑いしながら、明日は遅くとも朝 6 時くらいには来てください、と言った、、 続く

歩いた日

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   撮れているかわからないカメラを持って、足が動かなくなるまで歩こうと思った日の写真。  朝は暗いうちに出ようと思ったのに寝坊して、明るくなりはじめた時間に家をでた。明るくなりはじめる時間は、空気も澄んでいる感じで、肺がすっきりしてコンビニに入りたくなったりする。  やたら色の黒い清原みたいなおじさんが立っていたり、学校の横に墓場があったり、窓のない家があったり、ケンタッキーとマクドナルドとモスバーガーが並ぶ夢のような場所があったり、聴いてたラジオの内容も、すごく覚えている。  ひとりで歩いて行った場所のことはあんまり忘れない、入ってくる情報量が違う。 アメリカも京都も受験の時も。  町田までいって、公園で少し休んで帰った。最後は足を引きずって歩いた。前の日ドキドキしていて寝不足だったので帰ってすぐ寝た。 だいたい 6 時間くらいかかって帰ってきた時、家の近くになぜか小さい蟹がいた。

神を信じるなら

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  何人 ( なにじん ) かわからない、ロイなんとかという人から定期的に、ひと月に一回くらいメールが来る。迷惑メールにしてはずっと名前が同じだから、またこの人かと名前を覚えてしまった。友達みたいな挨拶からはじまり、綺麗な風景の写真の載った PDF が添付されていたりする。けっこうまめなやつ。次来たら一回ちゃんと読んでみる。 むかし、神隠しを起こしたことがある。 よくおもちゃを買ってくれる知り合いの先生がいて、その日もその人はうちにきていて、だけど僕はその日は塾に行かなきゃいけなかった。 なので先生には塾が終わるまで待っててと無理なことを言い、帰ってくると当然先生もいなくなっていた。 子どもは怒る。そして拗ねる。拗ねて、うちの店の 3 階の、事務の人が座る椅子と机の下の間のところ、足を入れる空間にすっぽり入って、体育座りする格好で隠れた。それでそのまま寝てしまったことが、はじまりだった。起きたら電気は消えていて、誰もいなくなっていた。非常口の明かりで薄暗い中で、神様を信じていた僕は、下に降りろと神様に言われた気がして、 ( 言われていなくても降りるしかなかったけど ) これはしまったなと思いながら下に降りていった。 一階には祖母と弟がいて、ちょうど祖母が弟に、お兄ちゃんはいなくなってしまったんだよ、と言っているところだった。そこにどこからともなく自分が登場して、それがおわり。 そこからはあんまり覚えていなくて、あんまり怒られた記憶もない気がする。いなくなっていたのは多分数時間なんだけど、大騒ぎになっていて、警察にも連絡され、近所の人たちからの情報を募ったりしていたらしい。隠れていた時間に近くの通りを歩くのを見たなんていういい加減な情報もあったりした。 でもあんまり当事者の自覚もなくて、ちょっとおもしろがっていた。 次の日友達の家に行ったらちょうどうちの親がお詫びの品を届けに来ていて、それを一緒に食べたりしていた。思い出すとゾワゾワする話。