スーパースノーボーダー
有名な人とか、うまくいった人の、これが大事だなんだという話を聞くと、だいたいそれなりにわかる気がする、そうだよねと思うんだけど、こんなに簡単にわかってしまって、ずる賢いような、器用すぎるような、わかったけどどうしていいかわからなくなる、だからいくら説明されても全然わからないことがあるとちょっと安心することもあります。
2つのものを覚えるのが苦手で、東とか西とか、元素とか原子とか、第1ターミナルとか第2ターミナルとか、どっちがどっちだかわからなくなる。結果、たしか2だったんだけど、2を出発して、今年も帯広に行った。
いつも行っていた祖母の家の近くのスキー場は去年、経営がうまくいかずに無くなったけど、今年復活した。
2年ぶりに行ったら、リフトは2つあるうちのひとつしかなくなっていたり、ご飯を食べるところは閉鎖されて、寂しい感じになっていた。
だけどせっかく復活したんだから、という感じでリフトの券をもぎる人は明るかったし、一回サービスしてくれた。リフト券も安かった、買う時に、どこからきたんですかと聞かれて、咄嗟に、どう言ったらこのスキー場の経営的にいいんだろうと思ったけど、よくわからなくて東京ですと言った。
むかしは冬休みのたびに兄弟で連れてこられて、ここのコーチにマンツーマンでスキーとかスノボを教わっていた。ここのリフトは降りるのが難しいから、ここで大丈夫ならどこへ行っても大丈夫、と言っていた。
はじめてスノボを教わって、つま先滑りもかかと滑りも、ターンもなんとなくできてある程度滑れるようになってきた時、これがうまくできるようになったらこの先はどういうことをやっていくのか、ときいたら、特にないと言われて、がっかりした。
家族はもうスキーもスノボもやらなくなって、祖母ももう歳だから、いまは1人で、毎年教わったターンを繰り返しています。
最近は少しだけ飛べるようになった。
去年の夏、帯広の長崎屋が消えた。
なくなるまえに見に行ったら、中はほとんどすっからかんで、だけどよく行っていたおもちゃ屋とか、ゲームセンターがちゃんと最後まで残っていた。
まわりはなにもなくてがらんとしているのに、そんなに重要じゃないようなゲームセンターとかおもちゃの店がぽつんと残っているのが不思議だった。
これはとても重要なときに来た、と思って、たぶん他に誰も撮ってくれない気がして写真を撮った。
思っていたよりゲームセンターは広かった。
つぶつぶのアイスの店とか、本屋とかはなくなっていた。
最後だと思って、UFOキャッチャーで小さい黄色い車をとった、バックするとバネで走る。
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