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幼稚園までの人生

幼稚園より古い記憶がほとんど思い出せないように、 幼稚園の頃は高校から先の自分のことを全く想像できなかった。その時の自分は、一生懸命受験勉強して、冬にはマフラー巻いて受験に行って、なんだかんだ受かって大喜びするっていう普通の高校生に憧れていて、そこから先のことなんて考えもしなかった。 それがいざ高校生になってもそれは変わらないままで、もうしょうがないからここまではちゃんとやって、それ以降は好きなようにしてどうにでもなれと思った。余生みたいなことに近いかもしれない。アイスが溶けるので終わり。

2018年のアメリカ

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 明日は大谷翔平の投げる日です。この間の登板は四球連発から大量失点してしまったけど、チームが逆転したからそれはそれで見応えがあった。あれからチームの雰囲気も良さそうだし、楽しみだ。 毎日大谷を見ていて、二年前にアメリカへ行ったことを思い出して、久しぶりに写真を見返してた。毎日野球ばっかり見てたけど、なんだかんだやっぱり行ってよかったなと初めて実感している気がする。 アメリカは特にそうだったけど、海外に行くとすぐ帰りたくなってしまって、頭の中でアメリカの悪口を言いながら歩いていたりしたけど、二年も経つと意外とそういうことはパッとは思い浮かばないし、そういう時は写真なんか撮らないから見返しても大丈夫。 言葉も道もルールも何にもわからない不安な気持ちで訳のわからない道を何キロも歩いて野球場に向かって、やっとエンゼルスの大谷の旗が立っているのを見つけた時に、ああこのためにきたんだなと、大したことじゃないけど何かすごくやり遂げたような気持ちになって、本当に泣きそうになった。それまでのアメリカ旅行の英語やら手続きやらもういろいろな不安を大谷くんとロサンゼルスの空が全部帳消しにしてくれて、野球が終わるまでずっとドキドキしてた。あの思い出があるのが何よりの自慢だし、メジャーリーグってなんかいいね。

絶滅

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 曲を作っていて、今あるものをちょっとずつよくしてった方がいいんじゃないかとか、系統立てて作った方がいいんじゃないかとか、なんかそういうちゃんとしたやり方のことを考えるんだけど、ちょっと先に思いつきそうな新しい曲がさかなみたいにするする逃げて行っちゃいそうで、焦ってしまう。 いままでに作ったものは自分ではちゃんと好きだし、だけど今のうちにたくさん捕らえておかないと、あっという間になくなっちゃうんじゃないかみたいな不安。いつまで絶滅しないんだろう。もうとっくにしてるかもしれないけど。うれしいんだかこわいんだかわからない。

夜中に外に出てもどこにも行くところがないという話。

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この町では今のところ夜中に外に出てもどこにも行くところがないという話。 高校生の時から、夜中に散歩するようになった。 なんていうか、たぶん感情の容量みたいのがあって、何かの感情がすごく高まっているときにはあんまり他の感情に同時にはなれないというか、要するに外に散歩に出るときには、楽しいとか悲しいとかで頭がいっぱいなのであんまり怖くない。すこしあたまがひえてきて急に怖くなってくる時もあるけど。一回考えちゃうとずっと考えちゃうよね。 それにしてもやっぱり何かしら目的がないと散歩しずづらくて、公園でもTSUTAYAでもなんでもいいんだけど、最近は夜になるとすぐ閉まっちゃうし、引っ越してきたばかりであんまり馴染みのないところをうろうろしていても落ち着かなくて困る。友達の家もないし。 散歩すると疲れるからよく眠れるのがいい。なんか何の面白みもない文章だけど、あんまり言葉にしたことのないことだったので、記録。 このキーボードは少し反応が悪い。そういう感覚って自分で誰かと話していてもある気がする。あと今日は、新しいイヤホンを買った。

オリンピックの夏

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 前に投稿してからちょうど1年くらい経った。気づかないうちに夏至は過ぎてしまった。今日はインターネットでたけしのことを調べながら時間をつぶしていた。 自分の、日記の文章がすごく気に入っていて、これが作品になったらいいのにと思う。けどあれが流れよくかけているのはあんまり恥ずかしさもなく、かと言って誰かに見られない保証もないという気持ちで書いているからだと思う。 とりあえずだから、ここでもう少し続けてみるかと思った。ノートにも書きたくなってしまうけど。 オリンピックの映像が好きで、いやきっとほとんどの人は映像でしか見たことがないだろうから、僕らにとってふつうオリンピックというのはテレビの中のもの。オリンピックはテレビであって、テレビにとってもオリンピックは重要なイベントだったと思う。あの空気感は独特のものだし、みんなが同じものをみている感覚があった。アテネ、シドニーなんて、オリンピックがなければ知らなかった場所。でもなんとなく名前を聞くだけでなつかしいような、なにか重要な歴史がそこで刻まれたというドキドキするような感覚を思い出す。時間が経って思い出すのは感動や興奮だけじゃなく、時代の空気とかだったと思う、あとなにより自分のこと。2008年の夏、北海道の祖父母の家に帰省していて、ミスチルのギフトが流れて、野球は負けて、北島康介が金メダルをとって、平泳ぎの選手が水面から出てくるスローモーションに笑って、まだ祖父が生きていて、思ったより早く、気づいたらオリンピックが終わっていたことに少しがっかりした。そういうようなこと。 だんだんものものしい文章になってきてしまった。おわり。

本当だった生活

文章を書く基礎的なトレーニング。夜にしかはかどらない。 身体でも心でもどっちでもいい、疲れて帰ってきて横になっていると、本当の自分に戻ったような気分になる、小学生中学生高校生、はたまた幼稚園生、どれがほんとの気持ちだったのかもうわからないけど、とにかく雑誌に載っていたお洒落な部屋とか、みたことないスイーツとかそういうのとは無縁の、昔ながらの生活 ( これもよくわからない ) が本当だったことに気づかされる。 本当だった生活。もともとは暗かった。都合のいい妄想ばかりして、女子高生の出ている CM を見ていた。ほんとは部屋にポスターなんか貼ってなくて、それらは見れば見るほど見栄に思えてくる。やっぱり幼稚園生かもしれない。 扇風機。 こういう気持ちはすぐに忘れてしまう。 あんまり夜が深くなると、これ以上考えられなくなるな。

はじめに

小説を書くとなると~だ。とか~である。なんて書き出す人ばっかりで嫌になっちゃうな。そんな言葉遣いしたことないくせに、いったいどうしちゃったんですかっていうかんじ。その割に反復とか句読点に気をつけたりして。 遠くにおもしろそうな工場の頭が見えるから、ちょっといってみようと思っただけなのになかなかたどり着けないような、眠いと思って準備してたら目が覚めちゃったりとか、文章を書いているとそんなふうな混乱というか、そういう迷いかたをする。皮算用ばかりはかどっちゃって、なにもできなくなってしまう。 だけど高校の時、英語を日本語に訳すのが好きだった。他の人がカタコトみたいなおかしな日本語に直してるのを横目に自分が他の人よりもちょっとだけご機嫌な文章に訳せていることを気づいて欲しかったし、そのためにもっと長い文章を用意してくれてもいいんだぜ、みたいな気持ちだった。自分から言うわけないし、誰も気づかなかったけどね。そのときからなんとなく、いつか小説を書きたいなんて思ってたような思ってなかったような。 とにかく、ここに文章を載せることをはじめたのは小説を書くためです。いきなり長い文章を書くのはちょっと大変なんじゃないかと思って、ちょっとずつ、水泳みたいに(これが比喩だね)距離を伸ばしてみようと思っている。べつにフルマラソンみたいな距離を走りきりたいわけじゃなくて、ふつうに気分の晴れるところまででいいんだけどね。断片的なものはいくつもあったけど、完成させる目的で書いてないから、いつまでもふわふわしてしまってもったいないのでちょっとがんばってみます。